【ヤンキー高校との出会い 教員派遣の登録】
教員免許を取得し、早速教員試験を…
と思ったのですが、まずは教員派遣という形で登録をすることにしました。
というのも、免許を取得した時点で都道府県の教員採用試験の受験資格年齢がギリギリでしたし、応募時期の問題もあったので、まず現時点で、自分の状況でも私を教師として採用していただける学校があるのかどうか、賭けのような感覚がありました。
教員免許だけは持っているが教員経験はなし、です。
半信半疑どころのレベルではなく、ほぼ絶望に近い状態で派遣登録をしました。
当然ですが、すぐに返答があったわけではありません。
免許取得時期も、一般的な場合は、大学卒業時の3月末で発行交付されると思うのですが、私は9月入学の9月卒業だったため、半年遅れての取得です。
さぁ、いざ採用時期…
というわけではありませんでした。
ですので、こればかりは焦ってもどうしようもなく、運よく学校とのご縁があるまでは、なるべく穏やかに過ごしていよう、と考えていました。
そうして1年弱月日が経過したのですが、何とも中途半端な時期、夏休み前に、登録している教員派遣から連絡がありました。
「未経験可、年齢不問でも募集されている学校があるので一度お話を聞いてみませんか。」
とのことでした。もちろん飛びつきました。
未経験でもよくて、年齢も関係なくて、4月からではなく9月からスタートですって?
私に検討するなんておこがましい気持ちは一切ありません。
まずは教員派遣の担当者からお話を伺うことにしました。
そうすると、
「いやー、ちょっと問題の多い学校様でしてね。
生徒が少し荒れている学校なんです。
先生によって合う合わないが大きく分かれてしまうので、最初から苦手意識があったりすると、しんどいと思うんです。
落ち着いた環境で、よくお勉強もできて、手のかからない生徒がいい、だとか、進学校でレベルの高い授業をしたい、とおっしゃる先生にはイメージが異なってしまうのかな、と思うんですが、いかがでしょうか。」
ということでした。
(あまり具体的なことを記載してしまうのと誤解を招く恐れもありますので、ざっくりこんな感じで話をされた、というです)
私の出身中学校は、地元でも有名な〝荒れ荒れの荒れ″でございます。
何なら、その中学校で生徒会役員をしていて、学校をよりよくするために様々な取り組みも一生懸命やってきました。
だから、生徒が荒れている、なんていう言葉には何の驚きもなければ、怖さもありません。
むしろ、やれそうな気がしたのです。
派遣担当者は、私の姿からは想像できない、といったように、本当に大丈夫ですか?
と心配そうです。
(一見か弱そうに見られることが多い私)
そんな環境なんて、何も気にしません。
というか生徒に対しても一切の偏見がありません。
その時私は本気でやれる、と思ったのです。
私の気迫に押されてか、派遣担当者は学校との面接を取り付けてくださいました。
もし、この学校面接がうまくいけば、私の教員としての生活がスタートする可能性が高まります。
どんな学校であっても、一生懸命前向きに向き合っていこう、と思っていたので、迷いは一切ありませんでした。
【ヤンキー高校との出会い 面接】
面接は、学校教頭と派遣担当者と私の3人で行いました。
教頭は、学校の現状を包み隠さず話してくださいました。
地元の公立高校に受からず、私立学校では学費が払えず、学力も低く、家庭環境もよくない生徒が多い、ということ。
少し言葉が足りず、感情的に言動する生徒が多いが、悪気があるわけではない、ということ。
根気強く生徒に向き合ってほしい、ということ。
挨拶がきちんとできるようになってもらいたいから、先生も挨拶はしっかりしてほしい、ということ。
他にも何かあったような気がしますが、大まかな部分でこのようなことを言われました。
そして私が免許を取得したばかりで、教員歴はないことは問題ない、と言ってくれました。
それよりも人間力です、と。
少しだけ心が痛くなったのは事実です。
なぜかというと、途中で逃げ出してしまった前任者がいるから、代理として緊急に教員を募集したわけです。
生徒目線になって考えてみても、前任者の気持ちを考えてみても、任期途中投げ出す理由を想像すると、複雑な気持ちになりますし、その分、もし私が採用されたら一生懸命生徒と向き合おう、と心に誓いました。
そんな面接から1週間後、無事採用の連絡がありました。
私は当時勤務していた、私学中学校・高等学校の情報助手を退職することにしました。
私が教員になるきっかけを作ってくれて、大きな出会いがあった学校とお別れするのは寂しかったですが、お世話になった先生方が、合同教員会議の場で、私の退職に対してはなむけの言葉をかけてくださったことと、そんな時間を割いてくださったことは一生忘れません。
【ヤンキー高校との出会い 勤務】
9月になり、念願の教師としての生活がスタートしました。
家から電車で1時間ほどかけて通います。
初めてもらったコマ数は16コマでした。
多いのか少ないのか、それすら分かりませんでした。
担当したクラスは4クラスで、社会と情報2単位と、専門分野科の中でプログラミングに特化した科目を受け持つことになりました。
Javaをメインに、scratchからアルゴリズムを学ぶ、プログラミング構造を理解して記述する、という流れです。
私が着任したときはすでに2学期ですので、1学期にやっていたことを少し確認しながら進めていくことになりました。
とても運が良かったと思ったのは、専任の先生がとても親切に教えてくださって、プリントなどの資料も準備してくださったことでした。
専任には、私が教員未経験であることは伝えましたが、教頭同様全く問題ない、と言ってくれました。
それよりも生徒とは目を見て誠実に対応してくれたらいいよ、とアドバイスをくれました。
早速初めての教室に行くときの緊張感は、今でも忘れられません。
初めての学校、初めての教室、初めての生徒、初めての教務手帳、初めての黒板に、初めてのパソコン室。
見るものが新しく、ドキドキが止まりませんでした。
事前に教頭や専任から言われたように、生徒には誠実に向き合うことはもちろんですが、なめられないようにしなければいけない、ということも意識しました。
だから声に出しては言いませんが、態度で
「私は、敵ではなく味方だよ。怖くないよ。
でもちゃんと色んなことを学んでほしいし、社会に出たときに困らないようにしてもらいたいから、ダメなことはダメだとハッキリ言うよ。」
ということを示しました。
生徒の中には、大人に対して敵対心むき出しの子もいて、終始にらみつけてくる子もいましたが、多くの生徒は私を探っているようでした。
初めてのクラスで出席を取る際に名前を呼び、少しだけ自己紹介の時間を取りました。
教務手帳には、生徒の特長などをメモするようにしました。
出席率は1/5程度が当たり前なので、所々に空席があります。
今では、そんな状態の学校が珍しいということは理解できますが、その当時の私には、
「これが普通です」
と言われれば、
「あ、そうなんだ」
という感覚しかありませんでした。
直前まで勤務していた私学中学校・高等学校では、もちろんそんな出席率はあり得ませんでしたが、それはそれ、これはこれ、ということなんだな、くらいにしか思いませんでした。
クラスにはムードメーカーがいることも分かったし、クラスで雰囲気が全然違うことも分かりました。
学力に関しては、それまでの学習環境が良くなかった、ということがありありと分かりました。
まず机に向かう時間が極端に少ないし、自分の名前すら書けない生徒もいたからです。
なるほど、そういうことね。
よし、わかった。
私のやるべきことが見えたぞ!
これは楽しみだ!
そんな風にワクワクしたのを覚えています。
この続きは、次回。
色んなエピソードがあるので、是時次回作もお楽しみにしてくださいね。
ご購読ありがとうございました。
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