【A高校 ケンジとの出会い】
A高校は、入学当時から色んな事情を抱えた生徒が多い学校です。
一見何の問題も見受けられない生徒でも、実は家庭環境が悪かったり、心に問題を抱えている生徒がいます。
ケンジは眼光鋭く、常に敵対心むき出しの生徒でした。
初めて勤務する学校で、なぜそんなに敵意を向けられるのか理由が分かりません。
クラスメイトとも、うまく人間関係を築けているのか疑問でした。
クラスに馴染んでいるのかどうかも、どちらかというと孤独を好んでいるかのような様子でした。
私のほうはというと、その敵意の原因が自分自身に思い当たらないので、至って普通に接していました。
また私が敵意を向けられていると勘違いしている可能性もあるわけですから。
授業中に難しい問題を投げかけたときでも、他の生徒と同様に机間巡視しながら、サポートをします。
ケンジには話しかけてもリアクションしてくれることはなく、一部できていて、一部はできていないような状態が続いていました。
解き方や説明をしても、
「それ以上は聞きませんし、分かりません」
という態度を読み取っていました。
ただ、私自身はケンジにそのような態度を取られたからといって、
「そういう生徒もいるんだ」
としか思いませんし、態度が悪いから見捨てる、といったことは一切ありません。
きっといつか、学ぶ意欲が出てきたときには、しっかりフォローしようとだけ考えていました。
ある日の授業で、プログラミングの実習がありました。
コンピュータ教室で、課題プリントを配布し、各自でコマンドを入力、コンパイルして動作がうまく働くかどうか確認しながら学習をします。
ケンジの態度は相変わらずでしたが、その授業が終了したとき、パソコンのシャットダウンに戸惑っていた様子で、最後までパソコン教室に残っていたのでサポートしに近づきました。
私「今日の授業どうだった?」
ケンジ「・・・」
私「難しかったかな?呼んでくれたらサポートするからね。」
ケンジ「・・・」
私「最初は誰がやっても難しいから、いまは出来なくても大丈夫だよ。でも必ずできるようになるから、次はもっとサポートするね。」
ケンジ「ぼく、教師って大っ嫌いなんだ。小学生の時も、中学生の時も、先生に馬鹿にされて、ぼくはダメ人間のレッテルを貼られたんだ。ぼくが信用できる先生は一人しかいないだ。」
私「そうなんだね。先生からそんなことをされてつらかったね。学校にいる大人は先生しかいないのに、そんな先生からつらい態度を取られたら、どうしたらいいかわからなかっただろうに・・・。同じ先生として、許せないし、ケンジの気持ちを考えると胸が張り裂けそうだよ。」
ケンジ「でも、先生はぼくが無視しても、ずっと目を配り続けてくれたから、他の先生とは違うと思ってた。」
私「そう?ただ、私はほかの生徒と変わらず接してただけだよ。出来なかったらサポートするし、せっかくパソコン操作するのにしんどい思いをするより、楽しい思いをしてほしいから、そのためにみんながどうやったら楽しくやってくれるか考えてるだけだよ。だからケンジにも楽しく触ってほしいな、って思ってるよ。」
私「また来週の授業では、新しいことにチャレンジしてもらうつもりだから、楽しみにしておいてくれたら嬉しいな。」
ケンジ「わかった。」
10分休憩時間が間もなく終わりそうだったので、初めての会話はこのような感じで終わりましたが、ケンジが自ら話をしてくれたので、とても驚きました。
そして同時に
〈ケンジは自分のことを言いたい、知ってほしい、聞いてほしい、と思っている生徒なんだ〉
ということを感じ取りました。
【ケンジの生い立ち】
ケンジは、とても優しく頑張り屋さんです。
陸上部に所属していて、短距離走の選手でした。
タイムをコンマ何秒縮めるために、どういう身体の動きをするべきか、どういうトレーニングをするべきか、真剣に向き合っていました。
ケンジが自分らしさを表現できるのが陸上競技だったのだろうと思います。
団体競技ではなく、個人競技をしていたことは、ケンジにとっても居心地がよく、自分自身と会話することがよくできていた生徒だったろうと想像します。
小学校のころから、少しキレやすい性格だったことが問題になり、友だちとの何気ない会話で手を出してしまうことがあったそうです。
そして、傷ついた友だちをみて、なんてことをしてしまったんだ、と猛省する日々を送っていたそうです。
担任の先生からは、
「手を出すほうが悪い」
と言われ、なぜそこまでのことになったのかの経緯を聞いてもらえず、100%悪い、というレッテルを貼られてしまったのが、教師嫌いの始まりだそうです。
確かに手を出すのはいけません。
しかし小学生の頃は、対話での解決よりも先に、手を出してしまうこともあるだろうと思います。
そして小学生ながらに友だちを傷つける事は、自分自身も傷つく行為だと分かります。
相手が痛がる、泣く、という行動を見たときに、せいせいする気持ちのほかに、やりすぎたかもしれない、悪かったな、という気持ちがいくらかはあります。
であれば、なぜ手を出すという行動をとってしまったのか、経緯をきちんと把握、確認しなければいけません。
頭ごなしに
〈手を出す=100%悪者〉
としてしまっては、次の問題解決ができないままになってしまいます。
人を傷つける事の痛みを理解してもらうような対話として、なぜそうなってしまったのか、そうなる前に回避できる方法はなかったのか、どうすればよかったのか、傷つけることで解決ができたのか、できるのか、をしっかり考えさせるべきだったと思います。
そして、自分自身で考える力をつけ、暴力では何も解決しないことを理解させるべきだったのです。
ケンジの場合は、自分自身の解決手段が見いだせなかったのだと思います。
それからケンジは何度か暴力で解決しようとしていたようです。
それだけではなく、ケンジ自身も、家庭内暴力を受けていたそうです。
親からの家庭内暴力で、居場所も吐きどころもなく、路頭に迷っていたことでしょう。
小学校、中学校と信頼できる先生がいなかったばかりに、ケンジは思春期に大人に対して強烈な鬱憤を抱えることになりますが、唯一信頼できる先生というのが、陸上部の顧問の先生だったようです。
顧問の先生は、ケンジの努力家の面をしっかり支え、人としての道を説いてくれたようでした。
ケンジのキレやすい性格も、キレたら手を出してしまう部分も、陸上に打ち込むことで改善され、今では一切なくなったそうです。
【ケンジの涙】
ケンジの生い立ちを聞くことができ、私のことも信頼に足る人間だと思ってもらえたようで、それからのケンジの私に対する態度は激変しました。
私の前で笑顔で、話しかけてくれるようになりました。
そして、ケンジは私に少しでも隙あらば話しかけてくるようになりました。
もっと自分のことを知ってほしい、ということの表れですね。
今まで余程自分の中で溜め込んできたものがあったのでしょう。
私はケンジの言葉に常に耳を傾けました。
ケンジは本来、素直で優しい子です。
愛されたいと心から願っている子です。
ある日、ケンジが少し沈んだ様子だったので、
「あれ?今日元気なさそうだけど、何かあった?」
と聞くと、突然ポロポロと涙を流し始めました。
私は驚いて、その時間空き教室だったパソコン教室に急きょ連れて行きました。
理由を聞くと、陸上競技で行き詰まっていて、記録が伸び悩んでいることに、不安と焦りを感じているとのことです。
私は競技のことは一切分かりませんが、行き詰った時にどうやって乗り越えたかは経験がありました。
ひとつはがむしゃらに練習すること、ひとつは冷静に今の現状を分析すること、ひとつは解決に導いてくれる人に相談をする、という3つを提案しました。
ケンジは、相談できる人は中学の顧問だ、と言いました。
私もそれがいいと思う、と背中を押しました。
私自身は音楽の道を目指していたので、客観的にみた改善ポイントを指導者に聞く、というのが近道であることが間違いない行動だと思っていました。
身体的な問題なのか、精神的な問題なのか、技術的な問題なのか、それとも他に問題があるのか、経験者だからこそ見極めることができるし、最適なアドバイスができます。
残念ながら、ケンジの涙の理由の解決方法を指し示してあげることはできませんが、ケンジが悩んだときに、悩みを打ち明けられる存在になれたのかもしれないことは、とても誇らしく思いました。
ご購読ありがとうございました。
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