14歳からの音大受験への挑戦!挫折と決断、そして恩師から学んだ「自己責任」の重要性

夢を目指す女子高生
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14歳からの音大受験への挑戦!挫折と決断、そして恩師から学んだ「自己責任」の重要性

「あなたにとって理想の高校教師とは?」と聞かれて、皆さんはどんな教師を思い浮かべますか?

私には、自分の中に明確に持ち続けている「理想の教師像」があります。

それは、私が子ども時代に出会ってきた素晴らしい恩師たちとの思い出が、大きく関係しています。

私が教師を目指すきっかけとなった出会いや出来事を紹介するこのシリーズ。今回は、夢を現実にするためにがむしゃらに走り抜けた「高校編・その1」をお届けします。

電子ピアノ購入と14歳からのスタート!クラリネットとピアノの猛練習

「中学の吹奏楽部で出会った音楽の楽しさを、今度は自分が顧問として子どもたちに伝えたい!」

中学2年生の時にそう決意した私は、音楽大学へ進学するという具体的な目標に向けて、すぐに行動を開始しました。

まずは母親と一緒に地元の楽器屋さんへ向かいました。

当時、我が家は団地住まいだったため、近所迷惑にならないように消音機能のついた「電子ピアノ」を購入するためです。

楽器屋のスタッフさんは私たちの事情を親身になって聞いてくださり、なんとその場で「音大受験に対応できるピアノとクラリネットの専門の先生」を紹介してくれました。こうして、14歳にして初めてピアノの鍵盤を本格的に叩く生活が始まったのです。

ヘ音記号を読み、左右の手でバラバラの指の動きをさせるピアノ演奏は、初心者にとっては気が遠くなるような超難問でした。しかし、「これで憧れの音楽の先生に一歩近づける!」というワクワク感と楽しさが勝り、私はバイエルから始めてわずか1年後にはソナチネを練習するまでに上達したのです。

一方、クラリネットのレッスンはさらに過酷でした。

紹介されたのは、プロの交響楽団で現役で活躍されている高名な先生。基礎練習を徹底的に叩き込まれるのですが、1音でも間違えればすかさず怒号が飛んできました。

先生「君は一体、家で何を練習してきたんだ!間違いをしない練習をしなさい!レッスンでは完璧に演奏してくるのが当たり前。その上で、音楽をどう表現するかを学ぶ場所なんだ!」

プロの世界の厳しさに圧倒されつつも、「絶対に夢を諦めない」という強い一心で、私は毎日必死に食らいついていきました。

高校1年生の転機!ピアノ受験のプロではない先生との別れと苦渋の決断

大きな転機が訪れたのは、高校1年生の時でした。

進路を「音楽大学進学」と決めて入学した私に、高校の音楽指導を担当されていたT先生が声をかけてきました。「現時点での音楽の実力を見せてみなさい」と言われ、私は当時一生懸命に練習していたソナチネを弾いて見せました。

弾き終わった瞬間、T先生の表情は一気に曇りました。

T先生「は?……これは、ちょっとまずいぞ。」

実は、私がそれまで習っていたピアノの先生は、音大受験を指導する専門家ではなく、小さな子どもたちに「音楽を楽しく教えること」をモットーにされている先生だったのです。

季節のイベントがあるたび、先生の自宅での発表会に向けて、入試に必要な練習曲そっちのけで「子どもたちが喜ぶポップス曲」などの練習に多くの時間を費やしていました。

14歳という遅いスタートに加え、受験に向けたカリキュラムが大幅に出遅れていることに、T先生は強い危機感を覚えたのです。

T先生「今日からそのスタイルでピアノを弾くのはやめなさい。本当に音大を目指す気があるなら、受験専門の俺の弟子を紹介する。非情なことを言っているとは思うが、お前がどれだけ本気で夢を追いかけているかだ。よく考えなさい。」

私は激しく悩みました。

受験のためとはいえ、2年間温かく見守り、ピアノの楽しさを教えてくれた最初の先生を裏切ってしまうような、自分がとても冷酷で非道な人間に思えて、罪悪感で押しつぶされそうになりました。

しかし、私の夢は「音楽の先生になって、吹奏楽部の顧問になること」です。

夢を叶えるためには、甘えを捨てて前に進むしかありません。私は決断し、最初のピアノの先生に誠心誠意の感謝とお詫びの気持ちを伝え、涙ながらにお別れを告げました。

「合格は夢のまた夢」からの脱却!毎日の「腹式呼吸・徒歩登校」で鍛えたクラリネットの音色

さらに、本命であるクラリネットについても、T先生から厳しい現実を突きつけられました。

「まだまだだ。その技術では音大合格なんて夢のまた夢だ」と言われたのです。

落胆する私に、T先生は一つの奇妙な提案をしました。

「腹式呼吸を意識しながら、毎日歩いて登校してみなさい」

それまで私は、自転車で片道30分かけて通学していました。それを「徒歩」に変えるとなると、片道1時間以上かかります。しかも、私が通う高校は山の上にあり、厳しいアップダウンが続く道のりでした。

しかし、「夢のためなら何でもやってやる!」と決めていた私は、雨の日も風の日も、毎日欠かさず徒歩での登校を続けました。

半年ほど経ったある日、クラリネットのレッスンに行くと、いつもは厳しい先生がやたらと音色を褒めてくれるようになったのです。

先生「音が劇的に良くなったね。息が太く安定している」
T先生「体がしっかりと支えを作って、息を出せるようになってきたな」

自分では無意識でしたが、毎日1時間の山登りで腹式呼吸を意識し続けたことで、インナーマッスルが鍛えられ、管楽器奏者として理想的な呼吸法が自然と体得されていたのです。高校を卒業するまでこの徒歩登校を貫いたことが、私のクラリネットの確固たる技術の土台となりました。

教師となった今でも大切にする教訓——子どもたちに伝える「自分の選択に責任を持つ」ということ

この「過酷な徒歩登校を自ら信じてやり抜いた経験」は、高校教師となった現在の私の指導方針に、極めて重要な教訓をもたらしてくれました。

それは、「まずは自分で決めて、とりあえずやってみる」ということです。

世の中の大人は、子どもに対して「ああしなさい、こうしなさい」と指示を出すことが多いものです。しかし、私は生徒たちに対して、「自分が身をもって体験し、本当に良かったと思えること」以外は絶対に指示しません。自分がやってもいないことを「やれ」と偉そうに言う資格はないと思うからです。

そして、私は生徒にアドバイスはしても、行動を強制することは一切ありません

なぜなら、強制した時点で、その結果に対する責任を私が背負うことになり、子どもたちから「先生に言われたからやったのに」という言い訳や逃げ道を奪ってしまうからです。

自分の人生の選択肢は、常に自分で決めること。

そして、「自分で選んだ決断には、しっかりと自分で責任を持つ(自己責任)」

この強さと自立心を持った人間に育ってほしいと願いながら、私は今も教壇に立ち続けています。私のこの自己形成の土台は、まさにあの高校時代の決断と、毎日山を登り続けた日々のなかにあったのだと確信しています。

次回は、私の人生の最も大きなモットーとなる「3つの心構え」を授けてくれた、もう一人の恩師との出会いをお話しします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(関連記事:[ひまわり先生が高校生時代に出会った良い先生のお話、その2](https://goodteacher1.com/teacher/teacher4/))

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