20歳での結婚と、夫からの「人生を変える一言」で再点火した夢
大学受験に失敗し、地元のスーパーで当時まだ珍しかったパソコンを使ってPOP制作の仕事をすることになった私。
初めて触るパソコンの操作は楽しく、独学ながらスキルが磨かれていく過程に強い向上心を刺激され、充実した日々を送っていました。
そうして仕事に没頭して1年が過ぎた頃、高校時代からお付き合いしていた彼と結婚することになりました。
なんと、20歳(ハタチ)の花嫁の誕生です。

できちゃった婚ではなく、3年間の交際を経て自然な流れでの結婚でした。当時はまさか自分が20歳で家庭を持つとは思ってもいませんでしたが、温かい新生活がスタートしました。
しかし、結婚から半年ほど経ったある日、夫から私の人生をガラリと変える決定的な一言を投げかけられます。
「もう一回、学校の先生を目指してみたら?」
その言葉を聞いた瞬間、全身に電気が走るような凄まじい衝撃を受けました。
(憧れの先生、もう完全に諦めたと思っていた夢の舞台に……私、もう一度挑戦していいんだ!)
恩師F先生とのFAXを通じた小論文対策。社会人入試への挑戦
一度は音楽の教員を目指して挫折した私。次に「先生」になれる道があるとしたら何か?
考え抜いた末に出した答えが、「国語の先生になること」でした。
すぐに母校へ電話をかけ、お世話になった国語のF先生に「社会人受験をして教員免許を取りたい」と相談しました。
F先生は突然の電話に驚きつつも、私の熱意を察してすぐに快諾し、全力でサポートしてくれることになりました。
F先生の提案で、小論文と面接のみで受験でき、かつ国語の教員免許が取得できる私立大学を目標に設定しました。
しかも、結婚によって母校から遠く離れた場所に住んでいた私の状況を気遣い、F先生は「小論文のやり取りはFAXでいいよ」と言って、何度も熱心に添削指導をしてくださったのです。
「テーマに対して、自分の意見をいかに説得力を持って論理的に述べるか。多方面から物事を分析しなさい」
F先生が送ってくれる的確なアドバイスと添削のおかげで、要約や構成の力は劇的に鍛えられました。
最初は規定の文字数を埋めることすら必死でしたが、特訓を重ねるうちに、最後の頃にはF先生から「大変よく書けている」と太鼓判を押していただけるまでになりました。
小論文に集中して取り組んだ約半年間の猛勉強の末、無事に目標の大学へと合格を果たすことができました。

1年前には結婚し、その半年後には受験勉強を始め、そして21歳を目前にして、私はついに憧れの「大学生」になることができたのです。
21歳のキャンパスライフ。家事と学業、アルバイトの完璧なる両立
21歳で入学した大学生活。周囲の同級生は当然ながら18歳の現役合格生ばかりです。
最初は「少し年上だから浮いてしまうかも」という恥ずかしさや不安もありましたが、すぐに気持ちを切り替えました。
「学費も生活費も、自分で働いてまかなうのだから、真剣度は誰にも負けない! 今度こそ夢を叶えるんだ!」
そう強く心に決め、自分から積極的に周囲に話しかけて多くの友人を作りました。大学の教授陣にも夢を語り、空き時間にはカリキュラム外の講義も受講させてもらうなど、1分1秒も無駄にしない充実した計画を詰め込みました。
通学時間は電車で片道1時間以上。その移動時間もすべてレポート作成や予習復習に充てました。
さらに、奨学金をもらいつつ学費や生活費を補うために、放課後はアルバイトを掛け持ちしました。生活費を節約しつつも、夫に寂しい思いをさせないよう、家事も一切手抜きをしませんでした。
毎朝の手作りお弁当、そして晩ご飯も手抜きなしで毎日作りました。
だからこそ、「大学にいる時間内に、すべての勉強・レポート作成を終わらせ、家庭には一切大学の課題を持ち込まない」というルールを自分に課し、驚異的な集中力で学業に取り組んでいました。
こうして無事に春学期を終え、初めての単位もすべて取得。「さあ、この調子で残り4年間を駆け抜けるぞ!」と意気込んでいたその夏休みに、私の人生を激変させるとんでもない事件が起こるのです。
中国文学部中国文学科での専攻。F先生が見抜いた「合格ルート」
「国語の先生になりたい」と相談した私に、恩師F先生が提案してくれたのは、少し意外な「中国文学部中国文学科」での受験でした。
最初は「え? 国語なのに中国語?」と疑問でいっぱいでしたが、F先生は力強くこう説明してくれました。
「国語の先生になるためには、まず大学に合格して教員免許を取得できるルートに乗る必要がある。今からゼロから5教科を勉強し直すのは、音楽一本でやってきた君にとって時間的に厳しすぎる。だが、この中国文学科なら小論文と面接だけで受験可能で、入学後に中国語と並行して国語の教員免許を確実に取得できる。君にとってこの上ないチャンスなんだよ」

その説明に深く納得し、私の心は一気に「やるぞ!」と燃え上がりました。
合格してからは、日常のあらゆる文字(看板や字幕)を脳内で中国語に変換するようになり、中国語と日本語が入り混じるエキサイティングな学習の日々が始まりました。
しかし、そんな夢のような大学生活の絶頂期に訪れた「とんでもない事件」とは何だったのか?
気になる続きは、ぜひ次のエピソードをご覧ください!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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