音楽大学受験という過酷な現実。1Hzの狂いも許さない「ゾーン」での日々
学生時代に出会った素晴らしい先生たちの影響を受け、私も同じように「音楽の先生になりたい」という大きな夢を抱いていました。
その夢を叶えるべく、高校3年間はクラリネットの練習と受験勉強に全てを捧げました。しかし、音楽の世界は想像以上に甘くはありませんでした。
管楽器の合格枠は例年わずか1〜2名。
例年はせいぜい5名程度の受験者数だったのに対し、私が受験した年度は過去最高の16名が殺到する激戦区となっていました。合格を掴んだ2名はいずれも1浪生。現役生の私は、あえなく不合格となりました。
もちろん合格した彼女たちの演奏を聴くことはできませんでしたが、心から「本当におめでとう、良かったね」と思えました。そして、不合格の通知を受け取った瞬間に私の胸を去来したのは、意外にも「これでやっと、あの張り詰めた音楽の緊張感から解放される」という安堵感だったのです。

それほどまでに、音大受験への練習の日々は過酷を極めていました。
ひたすらクラリネットに向き合う中で、私はスポーツ選手がよく言う「ゾーンに入る」という感覚を身を以て体験しました。
聴覚が異常なまでに研ぎ澄まされ、「自分の奏でる音が今何Hz(ヘルツ)なのか」が1Hz単位で正確に聞き分けられるようになっていたのです。
チューニングの基準となる440Hzから、わずか「1」でもズレると、
(あ、今ちょっと音程が低いな)
(ほんの少し高いな)
と敏感に察知し、1音1音のクオリティに全身全霊で向き合っていました。
その代償として、並行して所属していた高校の吹奏楽部(こちらは趣味の延長のような非常にアットホームな部活でした)の合奏に参加すると、周囲の音程のズレに自分の耳が引っ張られてしまい、レッスン前には音程がガタガタになってしまうという、音大受験生ならではの特有の苦悩も抱えていました。
0.1g単位の体調管理と利き腕のしびれ。燃え尽きた情熱
高校3年生の受験期には、Hzの聞き分けだけでなく、自分の体調や体重のコンディションが音色に直結することが分かりました。
「ベストな音を出すための体重は何kgで、1日の最適な消費カロリーはどれくらいか」
何もしていなくても0.1g単位で刻々と変化する体重をコントロールし、本番に向けてベストな状態を維持する。それは恐ろしく過酷な自己管理の連続でした。
試験当日は必ずしもそのコンディション調整が完璧にうまくいったわけではありませんでしたが、それほどまでに自分自身の心と体、そして楽器と極限まで向き合えた経験は、今振り返っても人生において何ものにも代えがたい「教育の原点」となる財産だと言い切れます。
しかし、毎日の何時間もの猛練習により、右腕は常に痺れた状態。
大好きな音楽とあまりにも過酷に向き合いすぎた結果、受験が終わった時には完全に燃え尽きてしまい、音楽を続ける意欲を失ってしまいました。
「もう、大好きな音楽を嫌いになりたくない……」
そんな思いから、受験失敗後は数年間にわたり、クラリネットのケースを開けることすらできなくなってしまったのです。
18歳での就職。Windows 95との出会いとPOP制作の楽しさ
音楽からは完全に離れてしまいましたが、胸の奥底にくすぶる「学校の先生になりたい」という夢だけは、どうしても消し去ることができませんでした。
「音楽がダメなら、他の教科で先生を目指すことはできないだろうか?」と、日常のふとした瞬間に考えてしまう自分がいました。
しかし、まずは自立して生活を営む必要があります。
18歳になった私は、大学受験の失敗後、自宅の近くにある地元のスーパーへ就職しました。
当時はWindows 95が発売されたばかりで、世間一般にはまだパソコンが普及しておらず、操作できるスタッフもほとんどいない時代。
「若いから、パソコンを触るのも怖くないだろう」という理由で、18歳の私に白羽の矢が立ち、店内のPC室へと配属されたのです。
オフィスには、Windows 95が1台と、事務用のMS-DOSが1台あるだけでした。
私の主な任務は、「手書きだった店内のチラシやPOP、ポスターをパソコンを使って制作すること」でした。
幸いにも、先輩社員のひとりがタッチタイピングの基礎を叩き込んでくれたおかげで、私のタイピングスピードは驚異的に向上しました。
元々美術やものづくりが好きだったこともあり、独学でデザインの勉強を重ね、店員やチーフたちのリクエストに応える形で、次々とオリジナルのデザインPOPを作成していきました。
「ひまわりさんが作ったPOPのおかげで、商品がすごく売れたよ!」
そう褒められるたびに嬉しくなり、仕事が楽しくてたまらなくなりました。入社から3ヶ月ほど経つ頃には、PC業務を完全に一人で回せるほどのスキルが身についていました。
夫の後押しと、もう一度夢へ踏み出す「希望の光」
POP制作の仕事にはやりがいを感じていましたが、業務に慣れるにつれて「もっと新しいことに挑戦し、スキルアップしたい」という気持ちが強くなり、約1年勤めたスーパーを退職。
その直後、高校時代から長く付き合っていた彼と結婚し、新しい家庭での生活が始まりました。
結婚して半年ほどが過ぎ、新生活にも慣れてきたある日、夫が真剣な表情で私に語りかけてくれたのです。
「君の本当の夢は『学校の先生』になることなんだから、まだ若いんだし、もう一度本気で目指してみたら?」
寝耳に水だった夫のその一言に、私は驚きのあまり言葉を失いました。
夫は、私が音大受験でどれほど必死に夢を追いかけていたかを知っており、「このまま夢を諦めて人生を終えるのは絶対に違う」と思ってくれていたのです。
何より夫自身、若い頃に自分の夢を親に反対され、実家を継ぐことを強制されたという悔しい過去を持っていたため、「自分と同じ諦めの後悔を、妻には絶対にさせたくない」という強い想いがありました。
もう一度、学校の先生を目指していい。
その言葉が、私の人生にどれほど眩しい「希望の光」を投げかけてくれたか、言うまでもありません。
「ありがとう。私、もう一回、本気で挑戦してみる!」
そう決意した私は、音楽以外で最も得意で好きだった「国語」の先生を目指すため、高校時代の恩師である国語科のF先生に相談するべく、すぐに高校へ電話をかけました。
ここから、私の「学校の先生」になるための、長くて愛おしい物語が再び幕を開けることになったのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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