一度は落選した求人からの奇跡!アラサー・シングルマザーが高校の情報助手から教員免許取得へ突き進んだ3年間

眼鏡女教師
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諦めきれない「学校の先生」への夢。一度落選した求人から掴んだ奇跡

パソコン教室でのインストラクターの仕事にも慣れ、教室運営も軌道に乗って活気ある毎日を送っていた頃。私の心の中には、ずっと消えない小さなモヤモヤがありました。

それは、「私は『先生』と呼ばれているけれど、本当に憧れていた『学校の先生』にはなれていない」という葛藤でした。

小学生の頃から「将来は学校の先生になる」と信じて疑わず、一時は音楽大学の受験に挑むなど、教師への道を歩みかけていました。しかし、20歳での双子の妊娠・出産、そして慌ただしい日々の育児に追われる中で、夢は夢のまま遠ざかっていました。「私は夢から逃げてしまったのだろうか」と、自分自身にどこか失望していたのかもしれません。

dream

そんなある日、私の人生の転機が訪れました。毎日を誠実に生きていれば、神様は本当にチャンスをくれるのだと実感した出来事です。

当時、インストラクターの仕事にやりがいは感じていたものの、休みなく働き続けていたため「少し働き方をセーブしたいな」と考えて求人情報を眺めていました。すると、地元の私立高校で「情報科の助手(アシスタント)」を募集する求人が目に飛び込んできたのです。

その瞬間、頭の中に『ビビビッ!』と強い直感が走り、考えるよりも先に即座に応募しました。

しかし、その求人はある派遣会社経由のものでした。登録に行って社内選考にかけられたのですが、結果は非情にも「落選」。

この時のショックは、言葉にできないほど大きなものでした。

普段の転職活動であれば「今回はご縁がなかったんだな」とすんなり諦めがつくのですが、この仕事に対してだけは、どうしても諦めきれない執念のようなものが胸に残っていました。

「でも、落選したのだからどうしようもない」と自分に言い聞かせていた数週間後。

信じられないことが起こりました。

なんと、全く同じ私立高校の求人が、違う派遣会社から再び掲載されたのです!

「もう、やるしかない!」と迷わず再挑戦を決意しました。最初の落選以来、この仕事、やりたい!と心から願い続けていたからです。

一度諦めかけたチャンスが再び目の前に現れるなんて、奇跡としか言いようがありません。

私は再度鼻息荒く別の派遣会社に登録をしに行き、社内選考を通過し、見事私立高校への面接にこぎつけ、無事採用を勝ち取ったのです。

本当に、人生何が起こるか分かりません。最初に求人を見つけてから1ヶ月以上が経っていましたが、神様が「もう一度挑戦しなさい」と背中を押してくれたのだと確信しました。

「教えるって最高!」情報助手として見つめた授業の現場と夢の再燃

こうして念願の高校勤務が始まりましたが、「そもそも、高校の情報科って授業で何をするの?」という手探りの状態からのスタートでした。

私が高校生だった時代には「情報」という教科自体が存在しなかったため、今の高校生がどのようなIT教育を受けているのか全く想像がつきませんでした。パソコン教室の受講生にも高校生はいましたが、皆それぞれ資格取得を目指して通っていたため、「学校の情報の授業」について詳しく聞く機会もありませんでした。

現在でも、情報科は高校3年間のうち1年間のみ履修する科目であることが多いため、周囲に聞いても「何をやっているかよく分からない」という返答が大半を占めるのが現状です。

さらに、私の職種は「教諭」ではなく「助手」。どのようなサポート業務が求められるのかも未知数でした。

しかし、不安よりも期待を胸に、私の人生で初めての高校勤務がここからスタートすることになりました。

私がお世話になった私立高校では、当時の情報科はプログラミングに力を入れていました。

HTMLのタグをすべて手打ちさせてオリジナルの個人ホームページを作成させたり、挿絵にするGIF画像もデザインツールで1から手作りさせるなど、非常にこだわりの強い授業を展開していたのです。

HTML

実は、当時の私はHTMLをタグから直接コーディングした経験がありませんでした。しかし、助手の役目は生徒たちのPC操作を支えること。

「生徒からのどんな質問にも答えられ、やりたい表現をサポートできるようになろう」と心に決め、家で必死にWeb制作の猛勉強を重ねました。

また、後半のカリキュラムでは選択科目の生徒向けに「C言語」のプログラミング指導も行われていたため、かつて大学で学んだテキストを読み返し、また予習復習もしっかり行い、生徒のサポートができるように準備を整えていました。

基本的には1クラス40名弱の生徒を学校内のPCルームで授業を行うので、PCに慣れていない生徒やついていけない生徒が必ず数名います。

私はそうした生徒の横にぴったりと寄り添い、エラーの原因を一緒に探したり、アドバイスを送るサポート業務に没頭しました。

教壇の前に立つ教科担当の先生が授業を進める中、私は教室の後方から生徒たちの背中を見守りながら、本心からこう願っていました。

「高校の雰囲気って本当に最高! 教えるのって、こんなに楽しいんだ。私は助手として支えるだけじゃなく、自分の言葉で教壇に立つ『高校の情報の先生』に絶対になりたい!」

教育の現場をその目で見たことで、胸の奥で眠っていた「教師になりたい」という熱い思いが、ついに本格的に再燃したのです。

シングルマザーとしての覚悟。へそくりを叩いて通信制大学へ入学

ちょうどその頃、私生活では離婚を経験し、双子の娘たちをシングルマザーとして一人で育てていかなけない状況にありました。

「もし教師を目指すならラストチャンスだし、子どもたちにも家のことも少し協力してもらわないといけないかもしれません。」と激しく葛藤しました。

当時、娘たちは中学1年生。ある程度自分のことは自分でできるようになっていた年齢でした。

私はそれまでにも「お母さんは本当は先生になりたかったんだよ」と話していたことがあったため、意を決して「もう一度、本気で情報の先生を目指して大学で勉強し直したい」と打ち明けました。

すると、娘たちからは「応援するからがんばってね」という言葉が返ってきました。

娘たちの力強い言葉に背中を押され、私は情報科の教員免許が取得できる通信制大学への入学を決意しました。

この時20歳で1年だけ通った大学で履修した単位が認められ、最短3年の単位履修で学位が取得できることになり、さらに教員免許に必要な単位をプラスαで履修することになりました。

当然ですが、学費はすべて自分で支払わなければなりません。

これまでコツコツと貯めていたへそくりをすべて叩き、銀行で学費の振り込みを済ませた瞬間、「もう後戻りはできない」と、私のモチベーションは最高潮に達しました。

シングルマザーにとって、生活費以外の大きな出費は大きな恐怖です。

「これから先、何にどれだけのお金が必要になるか分からない。しかし、この支払った学費の1円たりとも無駄にしてなるものか!」と強く心に誓いました。

「絶対に最短3年で教員免許を取得して、大学卒業してやるーー!」

しかし、「私が先生を目指すために再度大学の勉強をすることになっても、それは私が追いかけたい夢の道なので、今までやってきたことをやらなくするのは違うと思っていました。」

特に料理に関しては、娘たちが小さく生まれたこともあり、食材を吟味してすべて手作りすることに強いこだわりを持っていました。それまで冷凍食品やお惣菜を買ったことはほとんどなく、おやつも自然派のものを選ぶなど徹底していました。

中学校に入ってお弁当が必要になってからも、前夜に下ごしらえを済ませ、朝早く起きて唐揚げやエビフライを揚げ、彩りと栄養バランスにこだわったお弁当を毎朝持たせました。

できる限り家事・育児と、仕事、そして大学の勉強を完璧に両立させようと誓いました。

一番の課題は、勉強時間の確保でした。

平日の月~金は高校で助手の仕事を8:30~16:30までします。

朝は娘たちの登校と私の出勤に間に合わせるため、7:00までにお弁当と朝食を作り終えなければなりません。

そこで、週の半分ほどはあらかじめ作り置きのおかずを用意しておき、晩ご飯は娘たちだけで食べてもらうことにしました。

私は仕事が終わったら、勤務校近くのコメダ珈琲にノートパソコンを持ち込んで、レポートを書いたり課題図書を読んで勉強する時間を作りました。

カフェで勉強

1杯500円ほどのコーヒーで、閉店までの5時間近くも居座る毎日。

「お店からすれば、席を占有してほとんど注文しない、本当に迷惑な客だっただろうな」と、今でも申し訳なく思い出します。

22時過ぎに帰宅してからは、翌日のお弁当の仕込みと朝食の準備、残った家事を済ませて深夜に就寝する。そんな目が回るような毎日が始まりました。

それでも娘たちは一切の不平不満を言わず、双子でお互いに支え合いながら過ごしてくれました。彼女たちが一緒にいてくれたことが、本当に救いでした。

3年間の崖っぷち限界突破!親子で取り組んだ数学の課題とつかんだ栄光

大学では半期ごとに履修できる単位数に上限があります。

私には「最短3年での卒業」という絶対のデッドラインがあったため、毎期その上限MAXまで科目を詰め込み、一つも単位を落とすことが許されない「崖っぷち」の状態が3年間続きました。

本当に、「休み」という概念が存在しない3年間でした。

定められた期間にレポートを提出するのですが、履修科目が多いのでレポートをひとつ仕上げるのも本当に大変です。

何冊もの参考書籍を読み込み、ノートに要約し、自分の考察を組み立てては書き直す、その終わりのない作業の繰り返しでした。

半期に1度受ける試験も毎回心臓が痛むほどの緊張感で、小論文形式から難解な記述式まで幅広いジャンルの対策に追われ、気が気ではありませんでした。

ただ楽しかった経験もしました。

大学の履修科目の中に「基礎数学(因数分解など)」があったのですが、これは中学1年生の娘たちが学校でちょうど習っている内容と全く同じだったのです。

その課題をこなすとき、私は問題用紙のコピーを3枚用意し、

「よし、3人で一斉に競争で解いてみよう!」

と机を囲みました。

解き終わった後は、親子3人でわいわいとお互いのプリントを丸付けし合いました。

「お母さんの採点、お願いね!」
「あ、お母さんまた満点じゃん! さすが!」

娘たちの採点をするのも楽しかったですし、娘たちに自分の答案を採点され、満点を見せて「お母さんすごい!」と少し見直してもらえる瞬間は、最高の気分転換であり幸せな時間でした。

とまぁ、超ハードで崖っぷち生活を私は何とか3年間続け、たったの1つも単位を落とすことなく、無事に学位と教員免許を取得するに至るわけです。

「もう一度あの3年間をやってみろ」と言われたら、全力で「二度とごめんです!」と断るくらいにしんどい日々でしたが、諦めずにやり遂げたという事実は、今でも私の人生の揺るぎない背骨となっています。

(関連記事:[家事・育児・仕事と学業の四足のわらじ!実体験で学んだ娘たちの「反抗期」と、絶望から掴んだ教育実習先探しの奇跡](https://goodteacher1.com/dream/dream8/))

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