はじめに
あなたにとって理想の高校教師とは?
と聞かれて、どんな教師を想像しますか?
私には理想とする教師像があります。
思えば教師を目指したきっかけになった出会いが大いに関係するのですが…
今回は、私が教師を目指すきっかけになったことを
【小学校編・中学校編・高校編・社会人編】
として紹介したいと思います。
今回はその高校編です。
高校入学へ向けクラリネットとピアノを習う
中学2年生で吹奏楽部の顧問になる夢を描き、教師になるための道をひたすらに追いかけたのが高校時代です。
まず、中学2年生の時に両親に進路相談しました。
すると意外にもすんなり応援してくれて、音楽大学へ行くにはどうすればいいのか…
音楽を本格的に勉強しなければならない!
となったら即行動。
まずは母親と一緒に楽器屋さんに行ったのでした。
そこで、団地でも騒音にならない電子ピアノを買いに行きました。
当然楽器屋さんは販売の営業をするわけですが、事情を話すと親身に聞いてくださって
「ピアノの先生とクラリネットの先生を紹介します」
と言ってくれたのです。
あれよあれよと話が進み、私は本格的にピアノとクラリネットを習うことになりました。
ピアノはヘ音記号を読み、両手がバラバラに動く、超難問に14歳から挑むわけです。
ただ、楽しさのほうが勝ります。
これで音楽の先生になれる!
と信じて疑わなかったし、ピアノをバリバリ弾きこなす自分を想像してワクワクさえしてました。
バイエルから始めて1年後にはソナチネを練習していました。
クラリネットは、プロの交響楽団に所属されている先生に師事し、楽器もプロ仕様のものに買い替えました。
基礎練習を徹底的に叩き込まれるのですが、1音でも間違えると怒号が飛んできます。
「君は一体何を練習してきたんだ!間違いをしない練習をしなさい!ここでは完璧にやってくるのが当たり前。その上で表現することを学ぶんだ!」
ごもっともです。
高校1年生の時に転機が訪れる
転機が訪れたのは高校1年生の時でした。
高校入学時から進路を
「音楽大学進学」
としていたので、当時の音楽科を指導しているT先生が、現時点での私の音楽的腕前を見せろ、と言ってきたのです。
T先生は音楽大学を出身していますが、さらに教育大学も卒業している方でした。
私は当時練習していたソナチネを弾いたのですが、
「は?」
という表情で、
「これはまずいぞ。」
と言うのです。実はピアノの先生は音楽大学を目指す子どもたちの指導をする専門家というより、小さい子供に楽しく教えることに重きを置いていた先生でした。
おかげで私自身も楽しくピアノを弾くことは出来ていました。
季節のイベントがあると先生の自宅で行われる発表会のために、入試で必要とされる練習曲ではなく、ピアノ教室の子どもたちが楽しめる曲を練習し発表する、と言うこともやっていたのです。
つまり高校1年生の私にとってはそもそもだいぶ出遅れてピアノを始めることになってしまっていました。
もっと徹底的に集中してソナタまでを弾きこなさなければならなかったのに、全く到達していなかったので、T先生は大いに危機感を覚えたのです。
私はただひたすらに言われた通りにやってきただけだったので、T先生の表情は驚くばかりでした。
そして、T先生から
「今日からそのスタイルでピアノするのはやめろ。真剣にやるなら俺の弟子を紹介する。酷なことを言っているとは思うが、お前がどれだけ真剣に音楽大学進学を考えているのかだ。よく考えなさい。」
とても悩みました。
中学2年から2年間お世話になったピアノの先生を裏切ってしまうと思いました。
自分が非道な人間だと思いました。
でも私は決断したのです。
私の夢は音楽の先生になって、吹奏楽部の顧問になること。
その夢を叶えるために、ピアノの先生には誠心誠意感謝の気持ちを伝え、お別れをしました。
クラリネットを必死で練習する日々
そして、肝心なのはクラリネットです。
T先生はやはり
「まだまだだ、それでは合格なんて夢のまた夢だ。」
と言います。
そこでひとつ提案をされました。
【腹式呼吸を意識しながら毎日徒歩で登校してみなさい】
それまで私は自転車で30分かけて登校していたのですが、徒歩となると1時間以上かかります。
でも、やってみようと思いました。
私が通っていた高校は山の上にあります。
アップダウンもあり、決して楽な道のりはありませんが、よほどのことがない限り、私は毎日徒歩で登校しました。
半年くらい経った頃でしょうか。
クラリネットのレッスンに行くと、先生がやたらと褒めてくれるようになったことに気づきました。
もちろんレッスンでは間違いは許されないので、それはクリアしていたのですが、
「音が良くなった」
と言われたのです。
自分では意識していないことだったのですが、音楽のT先生も
「音が良くなった」
と言ってくれました。
そして
「しっかり体を使って音が出るようになってきた」
と。
それから卒業するまで私は徒歩で登校を続け、体から息を出すことが当たり前のように定着したと感じています。
高校生活で頑張って来たことが大事な教訓に
徒歩で投稿を続けた経験は、高校の先生になった今も大事な教訓になりました。
「とりあえずやってみる」
ということです。
大人は子どもに対して
「ああしろ、こうしろ」
ということがあります。
ただ、私が子どもたちに対して言うことは、すべて自分の経験に基づいたことだけです。
自分がやってもいないこと、達成していないことに
「やれ」
とは決して言いません。
私自身が身をもって体験して良かったことだけを
「私の場合はこれをやったら、こんな経験ができたよ」
というふうに伝えるのです。
そして、その経験は真実だからより伝わりやすいのです。
ただし、強制は一切しません。
強制することに責任が取れないからです。
なんでもそうだと思うのですが、自分の選択が正しいかどうかはその人によると思うのです。
そして自分で選択したことに責任が伴うのです。
もし私がそれを強制させてしまったら、責任は私が負うことになり、子どもにとったら逃げ道や言い訳の対象になってしまうのと思うのです。
ある一定の年齢までは、親が責任をもって行動させないといけない場合があるでしょうが、自分で判断ができる年齢にはそれは必要ありません。
【自分の選択に責任を持つ】
人間になってほしいと心から思っています。
今の自己形成にも繋がったこの体験は、高校時代にあったといえます。
【自己責任】
今でも常に意識をしながら生徒と接しています。
ご購読ありがとうございました。
この続きの記事「ひまわり先生が高校生時代に出会った良い先生のお話、その2」もどうぞご覧ください。
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