音楽大学に合格するのは甘くない!
学生時代に出会った先生たちのおかげで?
一生懸命受験勉強に励み、音楽の先生を目指すべく無事音楽大学に進学でき・・・なかったんです、私。
世の中そんなに甘くない!
どの世界でもそうでしょうけど、上には上がいるもんで、私が受験した音楽大学では、管楽器の合格者は、それぞれ1名、多くて2名しかいません。
例年…の話をしても仕方のないことですが、例年は5名程度の受験者数に対して合格者1,2名だったのに、私が受験した年度は過去最高16名の受験者数でした。
合格されたのは2名でしたが、2名とも浪人1年生でした。
もちろん彼女たちがどんな演奏をされたのか聴くこともできませんし、知り合いでもありませんが、ただ心から
「おめでとうございます。良かったですね。」
と思いました。
そして、受験に失敗して最初に思ったことが
「これで音楽から解放される」
だったんです。
受験ってしんどいですね。
私の場合は音楽という芸術分野で、クラリネットをひたすらに練習する、ということだったわけですが、
【ゾーンに入る】
ってよく聞くアレ、経験しました。
例えば、耳が異常によくなります。
自分の奏でる音が今何Hz(ヘルツ)か、が分かるようになるのです。
一般的に音程を合わせるのに440Hz(ヘルツ、周波数)が使われます。
私はこのHzの違いが1単位で気付くことができるようになっていました。
(あ、今ちょっと音程が高いな、低いな)
といった感じです。
1音1音分かるようになっていたので、とても敏感に
【音】
に向き合っていました。
吹奏楽部も並行して所属していたので、こんな事いうと嫌われてしまいそうですが、吹奏楽部の練習の後は、音程がガタガタになりました。
耳が良すぎて周囲の音程に常に合わせようとしてしまうんでしょうね。
高校3年、大学受験に向けて頑張る毎日
私の所属していた吹奏楽部は、全く実績もなく趣味の延長のような存在で、楽しむ分にはとても良かったのですが、絶対に受験には向いていませんでしたね。
それでもクラリネットのレッスン前は部活に参加せずに、自分のペースで練習をするなどし、部活動と受験勉強を並行してやっていました。
高校3年生、いよいよ受験が近づいてくると、Hzの聞き分けだけではなく、自分のコンディションもクラリネットの音に顕著に反映されることが分かりました。
いい音が出るのは体重何kg、1日に何キロカロリー消費する、ご飯をどれだけ食べたらベスト体重になる、といったことまで正確に分かるようになりました。
ちなみに体重って何もしていなくても0.1g単位で変化するじゃないですか。
水を飲んだり、運動したり、刻一刻と変化するので、クラリネットを練習するときにベストに合わせるのがとても難しくて、受験当日もその体調管理はうまくいきませんでした。
ただこれを言い訳にするのではなくて、ここでは、私はそれほどに自分に向き合って、常にベストを発揮し続けることは困難であることを経験したし、今、当時の自分を振り返ってみても、そこまで自分自身に向き合えた、ということがかけがえのない経験になったと言い切れるということです。
そして
「音楽から解放される」
と感じた理由が、まさにこれなんです。
大好きな音楽に一生懸命に向き合った結果、Hzを聞き分けられるほどに耳が研ぎ澄まされ、いい音を出すための体重のベストコンディションを整える。
それだけでも緊張感はすさまじく、さらに練習を何時間もやり続け、利き腕がつねに痺れた状態で試験当日を迎えたわけです。
音楽大学受験を失敗してスーパーへ就職
正直大好きな音楽を嫌いになりそうでした。
どうであれ負け犬の遠吠えですが、受験に失敗したあとは、音楽を続ける意欲を完全に失ってしまったのです。
燃え尽き症候群だったんでしょうか。
とにかく、音楽からは離れたかったですね。
実際に受験失敗後数年はクラリネットを触ることもありませんでした。
それでも、
「先生」
になることだけは、心から離れなかったです。
もちろん常に考えているわけではありませんよ。
ふとした瞬間に、
「音楽の先生は諦めて、他の教科の先生になら目指せるかな?」
と考えてしまうのです。
とはいえ、日常生活があるので、私は大学受験失敗後、就職をしました。
家の近所のスーパーで、PC室所属でした。
当時パソコンがまだ普及しておらず、パソコン操作ができる人がいませんでした。
そこで18歳の私に白羽の矢が立ったのです。
「若いからパソコンとか触るの、こわくないでしょ?」
ということでした。
そのスーパーにはPC室にWindows95が1台、事務室にMS_DOSが1台だけありました。
私の仕事は、店内のチラシやポスターを作る、ということでした。
偶然にも1人の社員がタッチタイピングを教えてくれたのでタイピングのスピードは驚異的に伸び、また、元々美術も好きだったので、隙間時間にデザインを自分で勉強して、社員のリクエストに応える形でオリジナルデザインを含めた店内ポスターを次々と作成していきました。
入社後3カ月程度で、私のスキルはぐんぐん伸びていき、社員からの評判も良く、褒められると伸びる私の性質上、仕事が楽しくて仕方なかったです。
しかしながら、ある程度仕事に慣れてくると、もっと刺激がほしくなりました。
スーパーも入社時より活気が出て、PC室も2名体制で業務をすることになりました。
新しく入社された若い男性社員が、PCをバリバリ使いこなす人で、その時に自分自身の傲慢さが露呈された気がしました。
スーパーを退職してもう一度先生を目指す事に
私自身ももっともっとスキルアップを目指したいと思うようになり、約1年で退職しました。
そんな折、高校生の時から付き合っていた彼と結婚する運びとなり、新生活が始まったのです。
そして彼が言ってくれた一言で、また私の人生が大きく変化していきます。
「君は、先生になるのが夢なんだから、まだ若いんだし、もう一度目指してみたら?」
私の顔は、( ゚Д゚)‼‼‼こんな感じになっていたと思います。
寝耳に水とはこのことか!?
「え?いいの?え?本当に言っているの?え?冗談じゃないの?」
彼はどうやら受験勉強に必死になって先生になる夢を追っていた私を知ってくれていたので、このまま諦めるのは違うんじゃないかと思っていたようです。
何より彼自身も夢があったのに、親から大学受験を拒否され、実家を継ぐことを強制された人だったので、私に同じ思いはさせたくなかったということでした。
私にとって、もう一度先生を目指せるということが、どれほどの希望の光が差し込んできたことか、言うまでもありません。
そうと決まれば行動あるのみ。
今までは音楽の道で先生を目指していたのですが、音楽以外で得意なことは何かを考えたら圧倒的に
「国語」
でした。
ですので、高校で2年間国語を担当してくださったF先生に相談するべく、高校に電話をかけました。
ここから、私の先生になるまでの長い道のりの再スタートです。
ご購読ありがとうございました。
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