私が先生になるまでの道のり 【先生になるまでの過程を振り返ってみて】

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先生と呼ばれること

小学生の頃から、一度もぶれることなく、憧れていた先生という職業。

パソコン教室のインストラクターになるきっかけも先生と呼ばれる仕事だったから、という理由で面接を受けた私。

パソコン教室では資格のない状態で研修期間中に取れるだけの資格を取りました。

自信を持って受講生の対応をしていくうちに、まるで2歳児のように知りたい欲にあふれて、パソコンを操作することの面白さにのめり込んでいきました。

「好きこそものの上手なれ」

といいますが、私には大いに当てはまる言葉でした。

自分で言うのもなんですが、私自身がこんなに

パソコンを面白い!

楽しい!

と思っているので、これを伝えられる喜びや嬉しさは人一倍だったと思います。

パソコンってあんな事もこんな事も自由自在に、発想のままに表現できるし、果てしなく世界が広がるんです。

これを読んでくれるあなたがもしパソコンを苦手な人であれば、私はパソコンが使えることの便利さはもちろんですが、驚きや感動を伝えたいです。

またパソコンが得意な人であれば、あなたの知らないアプリケーションの繋がりを教えて、もっと楽しく自由であることを伝えたいです。

算数が苦手だった私が構成比の説明がうまくできずに、分かりやすいたとえ話がないと悩んでいたときに、1つのりんごを家族4人で分けるという解説で分かりやすく教えてくれた友人から聞いたその説明が感動的に分かりやすかったです。

その事のように誰にどんな言葉が感動するかなんてわからないから、私はたくさんの言葉とたとえ話と経験を積み上げて、一人でも多くの人にパソコンのことを好きになってもらいたいと思っています。

パソコン初心者

そしてインストラクターという職業に誇りをもって邁進しました。

結果的にそんな向上心が

「教育免許取得」

に至るまで積み重なったんだと、今はそう感じています。

また

「教えることが本当に好きなんだ」

ということも日々感じていたし、人が大好きなんだと知りました。

(だって実は人見知りだったりするのです)

そして何より私と接した人が笑顔になってくれることや

「できた」

と喜びを感じてくださること

「ありがとう」

と感謝していただけることが、本当に嬉しかったです。

色んな世代の人たちに通ずる言葉と思いを胸に、これからは高校生に向けて私の新たなステージが始まります。

娘たちとの関わりについて

私が教員免許取得を目指して大学の勉強をやり始めたのは、娘たちがまだ中学1年生の時でした。

まだ反抗期は始まっていなくて、仲良く日常生活を送れていたので、大きな問題はなかったと思います。

しかし私自身は大変ハードな日々でした。

朝は5時に起きてお弁当を作ります。

小学校まで給食だったので、朝の忙しさはこの時に知りました。

娘たちは双子で小さく生まれたので、とにかく健康に気を付け、食べるものにも今思うと気を使いすぎくらいにピリピリしていました。

無添加は当たり前だし、牛乳も低温殺菌牛乳しか飲ませたことがなかったし、スナック菓子は食べません。

みんな大好きなファストフードにも連れて行ったことがなかったので、お弁当も全部手作りです。

前日のおかずを入れることもたまにはありましたが、基本的にお弁当用にすべてをその日の朝に作りました。

それでも

「今日はお弁当作るの無理!」

ってなったときは、学校のWEB注文できる給食制度を使わせてもらいました。

朝の8時までにポチっとします。

3年間で

「ひとり10回以上は注文することになるんだろう」

と思って、10回分のチケットを購入したのですが、結局使い切ることはなく、最後のほうで、娘たちに私から頼み込んで給食にしてもらった、なんてエピソードになります。

ありがたいことに、娘たちは

「ママのお料理が一番美味しい」

らしいです。(はい、自慢です、どうも。)

手作り弁当

これ実は反面教師なんです。

私自身は母親の手料理をほとんど知りません。

たまに作る母の料理が美味しくなくて、偏食になってしまって、ご飯を食べることは全然楽しいものではありませんでした。

好き嫌いも今でも多いし、不便だし不自由だとしょっちゅう感じています。

同じ思いをさせたくなくて、最初はド下手な料理しか作れなかったけど、娘たちが生まれるころくらいには、それなりになんでも作れるようになりました。

毎日料理を作っていると、段取りや手際も良くなるんですね。

そして私の好みの味付けもできるようになってきたと言うだけの話です。

美味しいと言ってくれることはとても嬉しかったし

「作って良かった」

って思うし、これからも美味しい料理を食べてもらいたいと思います。

と、料理の話でそれてしまいましたが、娘たちはいつも私が夢に向かっている様子を感じていてくれたようです。

しかしながらこれは最近知ったことなんですが、娘がある日

「ママ、実はあの時(仕事帰りに喫茶店で深夜まで勉強していた時)、本当は寂しかったんだよ。

私たちは双子だから、話し相手もいたから良かっただけだよ。」

と言われて

「寂しい思いをさせてごめんね」

と謝りました。

私は育児も一生懸命やってきたつもりでしたが、少なからず寂しい思いはさせていたんですね。

ただ、結果論ではありますが、今、非常勤講師としてお仕事をさせてもらえるようになったことで、生活力は確実に上がりましたし、幸福度も上がりました。

それもこれも娘たちが我慢して、見守っていてくれたおかげなんだと、そう決して忘れてはいけないことだと自分自身に言い聞かせています。

いくつになっても夢は追いかけられる

ずっと夢に描いていた先生への道は、一度ならず諦めかけたことがあります。

最初は大学受験を失敗したとき。

次は結婚した時。

その次は出産したとき。

人生には大きなイベントが数回は訪れます。

その都度、数ある選択肢に悩み、選択したことには後悔したくない、と誰もが思います。

しかしそう簡単に自分の人生を順風満帆に生きられるほど甘くはないですね。

そんな時はいつも

「神様はその人に乗り越えられない試練は与えない」

という言葉を思い出します。

この魔法の言葉で私は何度も何度も、苦しいことやしんどいこと、逃げ出したいことから目を背けずに乗り越えてきました。

それが今の私の自信にもなっています。

30歳半ばにして

「今しかない!」

と清水の舞台から飛び降りる気持ちで大学の勉強を始め、最短で教員免許を取得するという大きな目標に向かって行動しました。

DREAM

自分自身のことを成功者だというつもりは一切ありません。

ただやはり、言えることはたった一つなんです。

いくつからでも、何かを始めることは遅くはないのです。

やった人にしか得られないものがあるのは確かなことで、それを言えるのは、やった人からの贈る言葉なんです。

あなた自身の背中を押してあげられるとしたら、私は、私自身が経験してきたことしか言えないのです。

『やってみよう、と思った時が、スタートライン』

あなたがする選択の先に、あなたの笑顔の花が咲きますように。

ご購読ありがとうございました。

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