大学生活がスタートしてビックリな出来事が…
高校3年生のときに先生になる為の音楽大学受験に失敗し、社会人を1年間経験し20歳で結婚。
再度夢に向かって大学受験し合格することができました。
さぁこれから楽しく充実したキャンパスライフが過ごし、夢いっぱい期待いっぱい先生目指してがんばるぞー!
と意気込んでいた矢先の夏休み・・・
なんとビックリな出来事が起きます。
4月に大学入学し、積極的に大学の勉強をし(学費は自分で払っていたので真剣です)、無事に春学期の単位も取得し、夏休みになりました。
秋学期からの学費を払うためにアルバイトにまい進していた時、体調の異変に気付きました。
季節柄?
夏バテかと思って、アルバイトをお休みしたのですが、3日経っても体調不良のまま、むしろ1日中吐き気に襲われ、食欲はまったくなく、3日で体重も減りまくりです。
そんな私のことを心配した義母が、自家製梅干し入りのおにぎりを作ってくれたのですが、これがとんでもなく美味しくて、義母にもっと作ってほしい!
とお願いして、毎日おにぎりを持ってきてくれました。
ただ、そうは言っても結局梅干しおにぎりしか食べられないのは問題ありなわけで・・・
義父が病院に行こう、と私を連れ出したのです。
診察時に医師から
「ご結婚されているのでしたら、ご妊娠の可能性はないのですか?」
と聞かれたのですが、即答で
「ありません」
と。
実はそっちのほうは全然積極的ではなくて、大学生になった忙しさや、もし妊娠でもしたら夢が叶わないと思っていたし、年齢も若いので、結婚したとはいえ、すぐに子どもが欲しいと思っていたわけではなかったのです。
で、即答したわけです。
が・・・!
大学生活中に双子の妊娠が発覚
念のため尿検査をしてみましょうね。
検査結果が出るまでは、栄養の点滴をしておきましょうね。
ということになり、処置室で点滴を受けながらぼーっとしていたところ、看護師さんが点滴の途中で針を外しだして、主治医が
「妊娠されていましたよ。今から産婦人科に行ってください。」
と言うのです。
脳内大パニックです。
(なぜ?いつ?妊娠?は?どういうこと?意味不明なんですけどー――!)
そんなことをしている間にダンナさまも病院に駆けつけてくれて、誘導されるままに2人で産婦人科の前で診察を待ちます。
義父と義母は息子が病院に到着した時点でバトンタッチ、帰路につきました。
「また連絡してねー!じゃあねー!」・・・
生まれて初めて産婦人科を受診します。
検査室に入ると、下半身には何も身につけないで、と促され、両足を診察台に乗せ、下半身はカーテンで見えない状態とはいえ、超開脚状態で器具が挿入されます。
診察をしてくれた女医先生が
「あっ!」
と言いました。
「えっ!?」
と思わず私も声が漏れます。
続けて女医先生は言います。
「双子さんですよ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どれほどの時間が経ったんでしょう。
私、軽く気絶していたんじゃないかと思います。
よくアニメなんかで見る白目で開いた口がふさがらない状態。
まさにアレです。
「ふ・た・ご???????」
呆然としている私に、女医先生はカーテンをおもむろに開け、現在進行形の私の子宮の様子をモニターで説明してくれます。
「見えますか?ここに白い点があるでしょ?ほら、ここにも。動いているでしょう?わかる?これ、双子です。ご妊娠ですね。」
「このあと、ご主人にも説明しますので、着替えが済んだら隣の診察室へお二人で来てください。」
検査室から呆然と立ちすくむ私を見て、ダンナさまが
「大丈夫?」
と聞きます。
私は声を発することができず首を横に振ります。
診察室から入室を促すアナウンスが聞こえます。
ダンナさまに体を支えてもらいながら、診察室に入りました。
女医先生
「さきほど、奥様にはお伝えしましたが、今回妊娠されているのが確認できました。しかも双子さんですよ。」
ダンナさま
「は?え?え?」
ちらっとダンナさまの顔を見たら、口があんぐり開いたまま停止しています。
ですよねー。
そうなりますよねー。
しかし、あんぐり状態の2人に先生は真剣な顔で言います。
「今回のご妊娠は、双子の中でも少し困難を要するパターンです。
一卵性双生児なんですが、赤ちゃんを仕切る壁がないため、赤ちゃん同士がへその緒で絡まったりするリスクがあります。
また、双子の出産は早産も想定されます。
大学に通いながら出産することはおすすめできません。
赤ちゃんの大きさからみて、現在妊娠7週だと思われます。
早産が想定された場合、大学の学期途中での出産も考えられます。
また奥様はまだ若い。
これからの将来もよく考えた上で、出産をするか、それとも諦めるかを2週間以内に判断してください。」
こんな話をたたみかけられるように言われて、頭の中が整理できません。
妊娠が判明して、それが双子で、大学に通えなくなるかもしれないし、しかも中絶の話までされている・・・
女医先生は
「このあと、本屋さんに行ってみたらどうですか?双子妊娠の書籍があると思うので、自分で調べてみるのもいいですよ。」
と言います。
「は、はい…」
そうして、病院をあとにしました。
その足で近所の大きめの本屋さんに向かいます。
確かに双子妊娠の書籍はたくさんありました。
ただ、私の中で気になったことが。
勇気を出してダンナさまに聞いてみます。
「ねぇ、赤ちゃんができた、って聞いてどう思った?双子ってどう思った?」
ダンナさまは即答してくれました。
「当然産むでしょ。産むための準備といろんなことを調べよう。」
と。
最初、妊娠が発覚した時は、私の先生を目指す人生どうなるんだ?
とパニックになりましたが、ダンナさまのその言葉を聞いて、すごく安心しました。
「うん。」
そして私は先生になる為に通っていた大学を休学することにし、生まれてくる双子の赤ちゃんを迎え入れる準備をすることにしたのです。
双子を妊娠してからの生活
とはいえ妊娠して謎の体調不良が悪阻だと判明したところで、悪阻がよくなるわけではありません。
食べられない期間はおよそ2か月程度だったと思います。
妊娠前の体重から4kgほど減り、身長163cmで40kgを割り込む勢いでした。
(元々痩せ体質なんです)
悪阻期間は何が食べられるのかを研究する日々です。
酢を使ったものやレモン、梅干しなど酸味のあるものだけは食べられると分かったものの、それが続くとまたしんどい。
食べられそうな気がするけど食べられない。
ダンナさまは、少しでも食べられるものを、と外食に連れて行ってくれるのですが、結局食べられるものがなく、すぐに退店したりして、たくさん心配と迷惑をかけたなぁ、と思っています。
そんな期間が過ぎて、やっと日常生活が戻ると思ったら、なんと次は切迫早産で緊急入院です。
入院期間は約2か月です。
入院前半はトイレに立つことも許されない状況で、移動は車椅子。寝たきり状態で妊娠前期~中期を過ごします。
そのあとお世話になった病院では、双子出産ができない(設備が整っていない)ということで、国立病院に転院することになりました。
2か月の入院期間の間に、妊娠5か月とは思えないくらいお腹がおおきくなり、胎動も感じられるようになってきました。
国立病院に転院して間もなく、早産を防ぐために、子宮の入り口を括る手術をし、なるべく長くお腹の中で赤ちゃんが育つよう、慎重に安静に過ごしました。
妊娠検査は2週間に1度でしたが、少しでもお腹が痛くなったり、胎動が感じられないと思うとすぐに病院に行ったので、出産まで毎週のように通っていました。
妊娠当時は、早産が想定されていましたが、最終的に妊娠39週で出産することができました。
赤ちゃんは2人とも2300gを越えなかったのでNICUに入り、体重が増えるまで少し入院しましたが、春の陽気が心地よい桜が満開の日に退院することができ、ここから4人家族の生活が始まったのです。
さて次のエピソードは、そんな私が次に起こした行動が、先生になる起点になったお話です。
ご購読ありがとうございました。
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