【前回からのエピソード】
大学受験に失敗し、とある地元のスーパーで当時貴重な存在だったパソコンを使ってPOPの仕事をすることになった私。
初めて触るパソコン操作が楽しくて、自分の作った作品がお客様の購買意欲に繋がっていることを実感して嬉しくなったり、独学ながらもどんどんとスキルが磨かれていくことに向上心が刺激されたり、とても楽しい日々でした。
そうして1年が過ぎた頃、高校生の時からお付き合いしていた彼と結婚。
なんと20歳(ハタチ)の花嫁でございます。
勢いってあるんですね。
当時からその歳で結婚することになるなんて思ってもなかったです。
彼=ダンナさま…まさか!
ではありましたがご縁があったということで。
ちなみに、できちゃった婚ではないです。
3年間のお付き合いを経て、そろそろ…みたいなタイミングだったんでしょうね。
そして新生活が始まったのですが、結婚して半年ほど過ぎたときに、ダンナさまから私の人生を変える一言をいただくのです。
『もう一回、学校の先生目指してみたら?』
ビビビッって、私の全身に電気が走りました。
憧れの先生、もう夢のまた夢だと思っていた先生に…な、れ、る?
【大学受験に向けて】
音楽の道が閉ざされたなら次にできそうなことは何か?
国語だぁ!
もうそれしか思いつきませんでした。
早速出身高校に電話をかけ、お世話になった国語のF先生に社会人受験をしたい旨を相談しました。
F先生も最初は驚いていたようですが、すぐに応援してくれることに。
そしてF先生のススメで小論文と面接だけの社会人受験ができ、且つ教員免許も取得できる私立大学を受験することを目標にしました。
小論文はF先生が添削してくださるという、なんとも恵まれた環境を手にしたわけです。
しかも結婚して地元から離れてしまったので、高校に足を運ぶのが大変だろうということで、小論文のやりとりはFAXでいいよ、と。
先生からのテーマに沿って何度か小論文のやり取りをしました。
要点のまとめ方はとても勉強になりました。
テーマによっては賛成意見と反対意見の両方が存在していて、どちらも正しく感じることがあります。
しかしどちらの意見を主体に置くか、その時に自分の意見をいかにもっともらしく伝えるか、なぜそう思うのか、を多方面から見て論理的に述べないといけません。
最初は文字数を確保するだけでも大変なことでした。
しかし何でも鍛えればそれなりの成果はでてくるもので、F先生とのやり取りも最後のあたりは随分とお褒めの言葉をいただけるまでになりました。
ダンナさまに言われた一言から、受験までは約半年ほどだったですが、受験科目が小論文だけだったので集中して勉強することができ、何とか合格することができたのです。
怒涛の半年でした。
冬の大学受験から春の入学まで、いやもっというなら高校3年生で大学受験に失敗して、社会人を1年経験して結婚から1年弱で、なんと私は大学生になることができたのです。
【大学1年生になって…】
21歳で入学した私の憧れのキャンパスライフが始まりました。
当然ですが、同級生のほとんどが18歳。
私は21歳。
もちろん恥ずかしさはありました。
浪人3年生だと思われたかもしれない、とか余計な事を考えたりもしました。
しかし学費も全額自分でまかないますし(奨学金はありがたく半分いただきながらではありましたが)、真剣度は誰にも負けない!
今度こそ夢を叶えてやる!
と思っていたので、恥ずかしがっても仕方ない、私は年上でみんなよりお姉さんなんだから積極的に話しかけて仲良くなって、思いっきりキャンパスライフを楽しもうじゃないか!
とすぐに気持ちを切り替えました。
功を奏してか、友達もたくさんできたし、大学の教授にも自分の夢を話して、単位履修はできないけど、講義の受講ができないか相談したりして、とにかく大学に通っている間は無駄な時間がないようにカリキュラムを詰めまくりました。
自宅から大学に通うのも電車で1時間以上かかるので、その時間も勉強時間に充てました。
学費をまかなうためにアルバイトもしました。
アルバイト先で売れ残った商品を安く買って、生活も切り詰めながら、それでもダンナさまには不自由のないように家事も一生懸命やりました。
毎朝お弁当を作ったし、晩御飯も基本的にはすべて手作りで頑張りました。
だからこそ大学にいる時間はすべて予習復習、レポートの作成をして、極力家に大学の勉強を持ち込まないように心がけました。
そうこうしながら春学期が終わり、初めての単位ももらい、これから順調に4年間を過ごそうとしていた夏休みに、とんでもない事件が起こるのです。
この続きは、次のエピソードで。
【大学での専攻】
国語の先生になりたい!
と言った私に、高校の国語の恩師F先生がすすめてくださった私立大学は、中国文学部中国文学科での受験でした。
中国語を勉強しながら国語の教員免許取得が可能だということでした。
最初聞いたときは
「え?中国語?なんで??」
と頭から?
が消えませんでした。
が、F先生はこういうのです。
「君は国語の先生になりたいんだろ?
とにかく大学に合格しなければその夢を追うことはできない。
正直、今から大学受験をするために5教科を勉強しなおすことは、音楽に集中してきた君にとって非常に困難であることは予測できるし、何より時間的にも非常に厳しいだろう。
しかしながら短期間で且つ小論文と面接だけで社会人受験ができるなんて、今の君にとってこの上ない条件が整っているんだよ。
中国文学科でも国語の教員免許は取れるし、中国語も学べると思えば一石二鳥じゃないか。」
はい。
もう言い返す言葉が見つかりません。
何ならその言葉で私の脳内は
「私ってラッキー人間過ぎる!やるっきゃない!えいえいおー!」
と意気揚々としてくるわけです。
無事合格してから、私の日常生活の中にどんどんと中国語が導入されていくことは想像つきますか?笑
町の看板、字幕の漢字、脳内で中国語読みに変換して日本語と中国語がごちゃまぜの楽しい世界が始まりました。
大学生活が始まって間もなく起こるとんでもない事件とは?
是非次の記事をご覧ください。
ご購読ありがとうございました。
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